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東京都葛飾区高砂2丁目不発弾処理 − 体験リポート


調査日:2005年11月27日


 東京都葛飾区高砂2丁目の民家敷地内で、戦時中に投下された不発弾が発見された。不発弾処理に伴う立入禁止区域内に自宅があったため、撤去作業当日、早起きして避難することになった。
 信管の撤去作業がスムーズに行われ、避難指示から約2時間半ほどで避難解除となった。

◇不発弾が発見された経緯

 2005年3月、発見場所に住む男性の記憶などをもとに不発弾調査を葛飾区に依頼した。区では民間業者に調査を依頼し磁気探査をした結果、8月24日、地下4.3−5.5メートルで爆弾とみられる物体を発見した。11月1日、陸上自衛隊によって第2次大戦中に米軍が投下したとみられる直径36センチ、長さ120センチ、重量250キロの普通爆弾と確認された。

◇不発弾発見から撤去作業当日

 不発弾が発見されたことを受け、葛飾区では「不発弾処理対策本部」を設置、消防、警察、自衛隊などの関係機関の協力を得て、撤去作業の準備を開始した。撤去作業を行うにあたって、信管を取り外すときに爆発危険があるため、撤去作業中は半径300メートル以内を立ち入り禁止とすることを決めた。


 区は、立ち入り禁止区域の住民に避難してもらうため、発見直後から各家庭に「不発弾処理のお知らせ」がポストに投函し避難を呼びかけた。撤去作業直前にも同様のお知らせがポストに投函されたほか、町会の回覧板でも同様のお知らせが回ってきた。町内の掲示板にも掲示して周知した。
 交通規制のお知らせは、道路沿いに看板を設置、回覧板やポストに投函して周知を図った。

◇撤去作業当日

 午前8時、避難開始のサイレンが鳴り、区役所、消防団、警察官の3人一組で各家庭を訪問し避難を呼びかけた。
 避難対象者は、開設した避難所(高砂小中学校)に避難し、障がい者などは福祉館などに避難した。
 避難所入口には「避難所受付」があったが機能してなく、誰でも入れるようになっていた。入口では、区の職員が土足を入れる袋とスリッパを渡してくれた。体育館に入ると暖房がついて館内は暖かく、座布団、毛布、お茶が用意されていた。
 避難して来たのは高齢者がほとんどで、将棋やオセロなどの遊び道具も用意されたようだ。急病人の発生に備えて、救護所も設置された。

 午前9時までには必ず避難完了してくださいと呼び掛けていたが、全員の避難が完了したのが午前9時43分だった。避難してくれない人がいて、説得に時間がかかったようだ。
 避難所には約170名が避難していたが、避難対象者は約3900人で避難率は約4%であった。日曜日ということもあり、避難所に避難というよりも出かけた人が多かったようだ。

 信管離脱作業は、現地本部と撤去作業班で臨時に開設した電話で連絡を取り合い作業を進めた。最初は1/4回転、1/2回転と徐々に信管を回転させ、その後、手動に切り替えて信管を離脱させた。
 信管は前後に2カ所ある。信管離脱作業は午前9時53分(時計)に開始し、前後の信管離脱作業が完了したのが午前10時32分(時計)で、短時間に信管を離脱することができた。
 撤去作業中、立ち入り禁止区域に子どもがいるという情報が入り、一時信管の離脱作業が中断されることがあったが無事に作業が終了した。

 午後3時までには作業完了するという事前のお知らせだったが、信管離脱作業がスムーズに行われたため、午前10時38分に無事撤去作業が完了し、避難解除された。

不発弾発見場所
24時間営業のセブンイレブンも休業
高砂中学校に設置された現地対策本部
避難所受付(機能していなかった) 避難所入口(スリッパ・袋が用意された)
避難所内の救護所 避難所の体育館(ほとんど高齢者)
避難所に設置されたお茶コーナー 避難所脇に設置された仮設トイレ
通行止めの標識 葛飾警察署現地警戒本部
本田消防署・本田消防団現地警戒本部 第二本部AS
消防特別警戒
(青戸2・奥戸1・第二本部AS・浅草SC・南小岩ST・七本部YH・本田YF・非常用A)
区長に避難完了報告 自衛隊に作業開始要請
現地本部と撤去作業班で臨時に開設した電話で連絡し合い、作業の指示・進行状況の報告を受ける
信管を抜いた不発弾を自衛隊のトラックで搬送
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