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平成16年新潟県中越地震 − 中山隧道(ずいどう)
調査日:2006年10月8日(日)
中山隧道(ずいどう)旧山古志村側の入口
中山隧道内部(ツルハシで掘った形跡が見られる)
展示してある土砂を運び出すトロッコ
この隧道は、中山隧道という。山古志村小松倉から広神村水沢新田を結ぶ全長877メートルの隧道である。人を通す手掘りの隧道としては、日本一の長さといわれている。
この中山隧道は、小松倉から広神村、小出町への重要な生活道路として集落を支えてきたが、平成10年12月、国道291号道路改築工事による新しい中山トンネルの開通により、約50年に及ぶ隧道としての役割を終えた。
ここ小松倉集落は、山古志村の東側の最深部に位置し、周囲を山塊に囲まれ、当時村民はどこへ行くにも峠越えを強いられていた。米や木炭など多くの荷物を運ぶ交通は、苦難を伴い不便を極めた。特に冬期間は4メートルを超える積雪のため峠越えもままならず、急病人などいく人かの犠牲者も出ていた。
それらの逆境に立ち向かい、地域住民の生命と生活を守るため、先人たちが隧道掘削を思い立ち、昭和8年から16年の歳月を費やし、手掘りで掘り抜いた隧道がこの中山隧道である。昭和24年の開通当時は922メートルであったが、水沢口付近での崩壊などにより現在の長さに至っている。いまでもツルハシの跡が当時のまま残り、先人たちの偉大なエネルギーと苦労と感動を伝えてくれる。
このように、この中山隧道は歴史的にも文化的にも優れた価値が認められ、また、地域住民自ら隧道掘削を決意し、掘り抜いた有様が公共事業の原点にあたることから、近代土木遺産として、トンネル技術者・地質関係者など多くの技術者の注目を集めている。
小松倉集落、山古志村、長岡土木事務所
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現在の中山トンネル
中山隧道の経緯
本隧道は、子々孫々の暮らし安からんことを願い、我らツルハシで掘り抜き、49年間村を支えてその役割を中山トンネルに引き継いだものである。
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昭和 8年11月12日 |
鍬立て式(山の神の命日) |
昭和 9年10月 |
中山隧道開さく期成会結成 |
昭和14年10月21日 |
80間(144メートル)到達 |
昭和18年 |
掘削中断、180間(324メートル) |
昭和22年 |
掘削再開 |
昭和24年 5月 1日夕刻 |
貫通 幅4尺 高さ6尺、502.8間 |
昭和25年 |
2期工事 幅2メートル 高さ2.5メートルに拡築 |
昭和31年 |
トンネル拡張及び路盤下げ工事 |
昭和35年 |
広神側坑口付近が落盤
小松倉住民がコンクリート巻立て工事を施工し補修 |
昭和39年 |
坑内舗装工事 |
昭和56年 |
照明工事 |
平成 7年 |
山古志川坑口コンクリート巻立て工事 延長9メートル |
平成 8年 |
広神側坑内のモルタル吹付工事 延長214.9メートル |
平成10年現在 |
道路規制 幅1.4メートル 高さ1.5メートル 長さ875メートル |
平成10年12月14日 |
中山トンネルに役割を引き継ぎ新生 |
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平成10年12月小松倉自治会記す
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○ 映画「掘るまいか」
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